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前田健太郎 政治学を読み、日本を知る

合意に基づく国際政治 ──ロバート・コヘイン著『覇権後の国際政治経済学』

【連載】前田健太郎「政治学を読み、日本を知る」(11)

制度による協調

 国際政治学者は、前回取り上げたケネス・ウォルツのようなリアリストばかりではない。生存競争のための軍事的な勢力均衡ではなく、相互の利益を実現する軍縮や自由貿易のような国際協調こそが国際政治の原則だと考えるリベラリズムの伝統もある。この立場を取る著作の中でも、今回紹介するロバート・コヘインの一九八四年の著作『覇権後の国際政治経済学』(石黒馨・小林誠訳、晃洋書房、一九九八年)は、最も影響力が大きい作品の一つだろう。

ロバート・コヘインの一九八四年の著作『覇権後の国際政治経済学』
ロバート・コヘイン 著, 石黒馨・小林誠訳『覇権後の国際政治経済学』(晃洋書房)

 本書では、覇権安定論に対する反論が行われている。リアリズムの伝統に属する覇権安定論において、国際協調を可能にするのは突出した国力を持つ大国、すなわち覇権国の存在である。自由貿易が相互の利益になるとしても、保護貿易を選択した方が自国の利益は大きいと各国が考えれば、保護主義が蔓延して国際経済は停滞するだろう。そこで覇権安定論は、覇権国こそがこうした裏切りを防ぎ、市場開放を通じて各国の協力を促す能力を持つと考える。この論理に従えば、第二次世界大戦後の関税及び貿易に関する一般協定(GATT)と国際通貨基金(IMF)を中心とする自由貿易体制はアメリカの覇権の産物であり、一九七〇年代における国際的な不況はその国力の衰退の帰結だった。

 これに対して、コヘインは制度の働きを通じて国家同士の協調が可能になると論じた。国際的な条約に基づいて活動する国際機関は、国内における政府のように法を強制できるわけではないが、各国の情報交換の場を設けることで信頼を醸成し、相互監視を可能にして裏切りを防止する。短期的には他国を裏切った方が得であったとしても、長期的な取引関係がもたらす利益を考えれば各国は裏切りを防止する制度を作るだろう。このコヘインの考え方は、自由な個人の合意と協調を通じて公共の利益が実現されると考える自由主義(リベラリズム)の伝統を継承するものであり、自由貿易体制がアメリカの「覇権後」も維持されるという含意を示すものだった。

 以上のようなコヘインの議論は、制度の意義を強調するリベラリズムの発展形だという意味でネオリベラル制度論とも呼ばれており、リアリズムに対抗する代表的な理論として紹介されてきたが、日本では主流の考え方ではない。むしろ、飯田敬輔の『経済覇権のゆくえ』(中公新書、二〇一三年)で提示されたような、アメリカの力の衰えと共に自由貿易体制が後退するという覇権安定論の見立ての方が、広く支持されていると言えよう。

 このような立場の違いはどこから来るのか。今回も、コヘインの発想の歴史的な由来を検討し、それを東アジアの経験と照らし合わせてみたい。

覇権安定論の起源

 コヘインが論敵とする覇権安定論は、西洋社会の歴史理論である。その立場に基づく代表的な著作として知られるロバート・ギルピンの『覇権国の交代』(納家政嗣監訳、勁草書房、二〇二二年、原著一九八一年)によれば、古代ギリシアのアテナイやローマ帝国のような覇権国が支配する時代には平和が訪れるが、その拡張と共に国力が限界に達すると、覇権戦争が起き、新たな覇権国が登場する。覇権国の台頭と没落の循環に注目するギルピンの歴史観は、歴史を経済システムの段階的発展として描くマルクス主義に対抗するものだった。

 この理論から見れば、近代ヨーロッパにおける覇権国は一九世紀の大英帝国である。イギリスは、海軍力に基づく世界の通商路の支配を通じて、ヨーロッパ列強の間で「パクス・ブリタニカ」を実現した。その結果、この時代には「第一のグローバル化」と呼ばれるような自由貿易の黄金時代が到来する。やがてイギリスの衰退と共に二度の世界大戦が起き、アメリカが新たな覇権国となる。

 これに対して、コヘインの議論の背景にあるリベラリズムは、一九世紀ヨーロッパを異なる形で解釈する。その繁栄を支えたのは、イギリスの覇権ではなく、各国の自発的な協調である。この国際秩序が第一次世界大戦で崩壊したのは各国の国内事情によってであり、覇権国の不在によってではない。実際、戦間期に新たな覇権国となったアメリカは、世界恐慌を防ぐ能力がありながら、それを発揮する意思を欠いていた。

 この視点から見れば、戦間期のヨーロッパも決して無秩序ではなく、国際協調の潮流が存在していた。城山英明『国際行政の構造』(東京大学出版会、一九九七年)が論じるように、一九世紀末から国際連盟の時代を通じて、国際通信行政や国際河川行政など安全保障以外の分野では国際協調が進んでいたのである。この伝統が、第二次世界大戦後の国際連合をはじめとする国際組織の礎となった。GATTの本部には、国際連盟の本部が置かれていたスイスのジュネーブが選ばれる。その意味で、戦後の国際経済秩序は、アメリカによる覇権だけでなく、戦前からのヨーロッパの国際協調の歴史の延長線上にあると見ることもできよう。

東アジアにおける国際協調

 このような自発的な国際協調のイメージは、中華帝国が長らく覇権を握り、その海禁政策の下で政府が貿易を独占していた東アジアの歴史からは浮かんでこない。一九世紀のグローバル化も、東アジア諸国にとっては不平等条約によって関税自主権を奪われる過程だった。自由貿易は、自発的な国際協調ではなく、欧米列強による強制の結果だったのである。

 そこで各国が目指したのは、不平等条約を改正するべく、欧米諸国から「文明国」として認められることだった。この文明国の基準を満たすには、立憲的な政治体制を構築し、国内の法体系を整備しなければならない。日本において明治憲法が制定された目的も、欧米列強からの承認を得ることだった。同じ動機から清と朝鮮も同様の改革に乗り出したが、第4回にも述べたように、伝統的な王権の枠内でそれに必要な改革を行うことは困難だった。

 この欧米主導の国際秩序の下では、「文明国」の間では国際協調が行われる一方、それ以外の国は戦争と植民地化の対象となる。加藤陽子『戦争の日本近現代史』(講談社現代新書、二〇〇二年)が指摘するように、日清戦争や日露戦争は文明と野蛮の戦いとして正当化された。欧米諸国は一九一〇年の日韓併合を承認し、日本と共に東アジアの分割を進めていく。国際連盟の成立した戦間期も、一九三一年の満州事変を欧米諸国は傍観する。安田佳代『国際政治のなかの国際保健事業』(ミネルヴァ書房、二〇一四年)によれば、この時期の東アジアでは国際連盟の保健事業を通じた国際協調の試みもあったが、それも日中戦争で途切れてしまった。そして日本は、大東亜共栄圏という名の日本を中心とした地域主義の試みに乗り出す。

 第二次世界大戦後も、日本を含む東アジア諸国は、制度を作る側ではなく、欧米諸国の作った制度に加入する側だった。国際貿易体制の例を挙げれば、一九四八年に成立したGATTへの加盟を果たしたのは、日本が一九五五年、韓国が一九六七年である。原加盟国でありながら国共内戦の敗北と共に一九五〇年に離脱した台湾は、一九六五年からオブザーバーとなったが、米中国交正常化に伴って資格を喪失した。逆に、中国は一九八六年にオブザーバーとなり、GATTの改組によって一九九五年に成立した世界貿易機関(WTO)に二〇〇一年に加盟する。そして、その翌年には台湾もWTOに加盟した。東アジア各国にとって、戦後の自由貿易体制への参入は「文明国」としての欧米諸国からの承認を目指してきた一九世紀以来の歴史の延長線上にあった。

開かれた国際秩序に向けて

 今日、中国の台頭に伴い、再びアメリカの覇権が揺らいでいる。その中で、中国は国際的なルールに従わない異質な国だという議論を耳にすることも増えた。対立関係にある国に対して恣意的に貿易を制限するなど、国際的なルールを無視する国としての中国は、既存の制度を守り、国際秩序の維持に貢献する国としての日本と対比される。

 しかし、既存の国際的な制度に相手国が従うのを当然のごとく期待する発想は、実は欧米諸国の作った制度を守ることが「文明国」の条件なのだという一九世紀の考え方を継承している。コヘインのいうように、国際的な制度とは関係国の合意の上に成り立つものだとすれば、中国の振る舞いは、自らの損得を考えて選択するという一般的な主権国家の行動に過ぎない。むしろ考える必要があるのは、なぜ中国が既存の制度に従わないかという問題だろう。

 この点について、中国はしばしば、既存の国際秩序が欧米中心だということを批判してきた。実際、IMFにせよ、WTOにせよ、二〇世紀の戦後国際経済秩序の一環として作られた国際機関には、今日では欧米の先進国に有利な形で市場競争を強制する組織だというイメージが付きまとう。だからこそ、中国の主張にグローバル・サウスと呼ばれる発展途上国の一部が共鳴し、中国を中心とする広域経済圏の創出を目指す「一帯一路」構想やアジアインフラ投資銀行(AIIB)のような試みが大きな存在感を持つ。

 『覇権後の国際政治経済学』は、制度の働きを、各国に国際秩序への服従を強制することではなく、むしろその自発的な協調を引き出すことに求めた。この考え方に日本の読者が学ぶのであれば、国際政治における制度は関係国の合意に基づいて形成されるという出発点に立ち返らなければならない。それは、欧米中心の国際秩序への後発の参加者の一員として、既存の制度の不公平な点に対しては異議申し立てを行い、非欧米地域にも開かれた国際秩序を作るべく現状の変更を求めることを意味する。そうすることが、中国による挑戦に対抗し、ひいては中国も含めた東アジア諸国の間での国際協調を深める条件となるのではないだろうか。

(まえだ けんたろう・政治学)

[『図書』2024年4月号より]

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著者略歴

  1. 前田 健太郎

    (まえだ・けんたろう)
    1980年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科教授。専門は政治学・行政学。2003年、東京大学文学部卒業。2011年、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。首都大学東京(現・東京都立大学)社会科学研究科准教授、東京大学大学院法学政治学研究科准教授を経て、現職。著書に『市民を雇わない国家──日本が公務員の少ない国へと至った道』(東京大学出版会、第37回サントリー学芸賞〔政治・経済部門〕)、『女性のいない民主主義』(岩波書店)などがある。

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