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最果タヒ 愛は全部キモい

第13回 あなたを憎まない人が、あなたを愛してるわけではない。──『白雪姫』


イラスト 三好愛

13

 白雪姫のお話に愛というものは本当にどこにもない感じもして、というか、王妃が白雪姫に固執し、嫉妬をし、醜い行動に出るから、他の登場人物は相対的にまるで白雪姫を愛しているような見え方をしているだけに思う。グリム童話では毒林檎で死んでしまった白雪姫の棺を、通りがかりの王子が異様に欲しがって小人に頼み込む。普通にキモい。でもその想いの強さから小人も譲ることにしてしまう(そんな決断する小人もキモい。白雪姫はお前たちの所有物ではない。)し、棺が運ばれるその揺れで口からリンゴがこぼれ落ち生き返った白雪姫は「ぼくは、世界じゅうのどんなものよりもあなたが好きです。」とか王子に言われて、結婚を承諾する。自分の棺を知らん男が手に入れてることも、その男が目覚めてすぐプロポーズしてくるのも、要するに自分が綺麗だから言ってくるだけだし、特に死んでいる美女を欲しがるなんて、美しさ以外のものを求めていない証拠だと思うが、白雪姫はこういう「美しいからこそほだされてしまう」人間にとてつもなく鈍感で、そこを勘繰ったりはしない。もちろんそれは「ヒロインだから」で済まされる話なのかもしれないが、むしろそこで鈍感でいられなかったからこそ苦しんでいるのが王妃なのだ。その比較対象がすぐそばにいるせいで、余計に、白雪姫の鈍感さを流すことができなくなる。

 このときからお妃は白雪姫を見るたびに、はらわたをちぎられるような気がしました。それほど白雪姫をにくみました。お妃の胸の中には、ねたみと高慢が日に日に募り、夜も昼も心の休まる暇がありませんでした。
(中略)
「あの子を森の中に連れていっておくれ。わたしはもう、あの子の顔を見るのはまっぴらだ。」

 王妃はそもそもとても美しい人なのに、自分が国で一番美人だと鏡に言ってもらえないと安心できずにいた。白雪姫が育って、美しさで自分に勝ると、彼女を虐めることをやめられず、ついには「あの子の顔を見るのはまっぴらだ。」とまで言う。王妃は物語のなかで「自分のきれいなことを鼻にかけ、高慢」と書かれてはいるが、読んでいると、彼女はただ高慢というより、むしろ、美しさしか自分には価値がないと思ってしまっているように見える。それが彼女の苦しみと、劣等感と、他者への残酷さにつながっているのではないかって。

 白雪姫のように、美しいからと求婚されたり、親切にされたりしたとき、王妃は自分が美しいからだと気づき、相手が自分そのものを見ているのではないときっとわかってしまう人だったのだろう。先のなさをよくわかっていたからこそ、美しさが翳ることを恐れた。鈍感には決してなれなかった。自惚れていたというよりも、自分の「価値」の危うさをわかっていたからこそ、苦しんで、嫉妬をしたのだ。それ以外に自分に長所があるならばこうは慌てないのかもしれない。でも、どんなことも無視して「美しいから」で白雪姫を助けようとする人間がわらわら出てくるこの物語を見ていると、この世界ではよっぽどの長所がなければ美しさが失われることに平然とはしていられないのではないか、と感じるのです。

 

 読んでいるとだんだんと、王妃様もさぞかし若い頃はキモい善意に晒されていたのだろうなぁ、なんて思いを馳せてしまう。そしてそうなるとむしろ、王妃のひどい嫉妬を受けていたからこそ、白雪姫はキモいはずの「美しいからこそ」の善意に鈍感であり続けたのかもしれない、とも思う。キモいと思ってもよかったはずなのに、というより、どこかでは思うこともあったのかもしれないのに、美しいから優しくしてくる人たちの中に、一人、美しいからと痛めつけてくる継母がいて、その人がただ一人の「私の敵」だと思ってしまった。いや、そう思いたかった。美しいからともてはやしてきたり、自分を手に入れようとしたりする人がいることは、不気味なことであるはずだが、もっと直接的な悪意がそこにあるなら、その悪意に対するカウンターパンチにはなるのだ。白雪姫にとっては、受け取る優しさや親切だけでなく、その理由が「自分が美しいから」であることにも、価値があった。それが不安要素や自己への侮辱であったかもしれない王妃とは異なり、白雪姫が「自分が美しいからだ」と思えることは、王妃の悪意を跳ね除け、自尊心を守り抜くために必要なものだったのだろう。


 と、書くと、白雪姫がなんだか美しさを鼻にかけた人みたいになるけれど、そんな単純なことでもないのではないかと思う。それくらい打算的な人であるならマシだけど、それならばもう少し彼女は物語の最後で幸せになるはずだ(私にはそうは見えなかった)。白雪姫は他の人間たちにはできるだけ慎ましくあろうとする。もちろん、悪意を込めて、彼女の行動を解釈するのならば、それこそ、グリム童話の白雪姫は余白が多いから、継母を煽ったかのように捉えることも可能なのだろうけど……でもそんなことは私はしたくない。グリム童話の白雪姫を読んだ時、私は白雪姫がとてつもなく鈍感だと感じた。自分の美しさに対する善意のキモさに、そもそも気づくことをもうやめている、と思った。善意です、と差し出されたらその理由が「あなたが美人だから!!手に入れたいから!!」であっても、お優しいのね?ありがとう!と微笑んで受け取ってしまうような、そんな鈍感さが物語に確かにあった。私はずっとそれがジクジクと心の中に残って、気になり続けている。この物語は王妃以外みんな心がないみたいだなぁ、と思えてならなかったのだ。


 己の長所にあぐらをかいて、他者を見下し、妬み生きていたら、不幸になるしずっと苦しむことになるのですよという教えのために作られた物語なのだろうな、とは思います。だから、王妃だけが人間らしく、他はみんな人間らしくなくて、むしろ無骨なくらいそれが堂々と物語に現れている。みんな、愛もなくて、優しさも本当はどこにもなくて、ただ、王妃の悪意によってマイナスのものが描かれるから、プラマイゼロの他の人々が愛情豊かなように見えている。骨ばった物語だって思ってしまう。

 

 白雪姫といえばグリム童話の、焼いた靴で王妃が踊らされる残酷なラストが有名だけれど、このプラマイゼロの心のない白雪姫であるなら、あの行動はむしろ理にかなっている。白雪姫は物語の中で誰のことも愛してないし、誰にも親切にはしていないが、王妃に対しては復讐を遂げている。それは彼女に対して注がれる感情が王妃からの悪意しかなかったから。誰も彼女を愛していない、彼女を心からは心配していない。だから、彼女が応えられるものは「悪意」しかなかった。唯一の感情表現がそこにしかないのだ。


 あなたを痛めつける人がいる時、まるでその敵以外、世界中が自分を愛していると、自分を守っていると、錯覚する瞬間があるのかもしれません。あなたを痛めつけてくるその張本人以外は、自分に親切だと思うことがあるのかもしれません。ただあなたを攻撃しないというだけで、ただあなたに嫉妬しないというだけで、他者がとても親切な人に見えることがあるのかもしれません。
 あなたを妬み、あなたを攻撃する人がいるなら、その分、あなたに憧れ、あなたを守ろうとする人もいるでしょう。そのとき、どんな平穏な日々よりもその人たちの親切は愛情に近いものに見えてしまうのかもしれません。苦しみの日々の中でなら、愛そのものを求めなくても、それで十分だと思うようになるのかもしれません。
 白雪姫が王妃に「美しいから」いじめられている時、「美しいから」自分に親切にする人間の浅はかさに、彼女はきっと本能的に気づかないふりをしていた。そうして次第に本当に気づかなくなっていった。王妃は、嫉妬に狂いそうな自分の心を守りたくて、必死でもがいて、それでも白雪姫への意地悪と殺意にしかならず、ついには復讐されるけど、それでも彼女は己の心を見失わず、それに苦しめられたとしても、それでも心の繊細さを保ち続けられたのだから、マシじゃないかと私は思う。「美しいからもてはやしてくる」人間の浅はかさが王妃には見えていた、それに不安だと思い続けられていた、それは自分の心を繊細なものだと捉え、いつまでも手のひらにそっと乗せ、大事に大事にできているということだ。自分の孤独を、なんとかしたいと思えるということだ。幸せになりたいと、愛されたいと、己のために願えるということだ。

 白雪姫は、心を守ること、繊細でい続けること、本当に愛してくれる人を待つことを、とっくの昔にやめてしまっている。自分の心を見てくれていない人間のまやかしの「優しさ」を、両手一杯に受け止め、何もわからない顔で微笑んでいる。そうやって、王妃に対抗している。もうきっと本当に、わからなくなってしまったし、繊細ではなくなった。そのふりをするのではなく、もうとっくにそんなことは忘れてしまった。さみしいとき、愛されたいと思えるのは王妃で、もうそれを思いつきもしないのが白雪姫。白雪姫はだからこそ、能動的に行うことが、最後の王妃への復讐だけとなる。暴力だけになる。自分の美しさを確かめようと鏡に何度も尋ねるようなそんな王妃のような繊細さはない。あの復讐は、彼女の命を狙ったその事実への復讐というより、彼女の心を壊してしまったことへの復讐なのだと私は思います。美しいから求婚をしてきた王子と結婚をしても、その復讐にはならない。幸せな場所で暮らすことができても、もうその復讐にはならない。王妃のせいで永遠に、白雪姫は「自分は美しいから愛されているのだ」という事実に、傷つくことすら忘れて、微笑んで生きていくしかないのだから。

(イラスト/三好 愛)


*なお、文中の引用は、グリム兄弟、植田敏郎訳『白雪姫──グリム童話集I』(新潮文庫、1967)からのものです。

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著者略歴

  1. 最果タヒ

    詩人。1986年生まれ。中原中也賞・現代詩花椿賞などを受賞。主な詩集に『空が分裂する』『夜空はいつでも最高密度の青色だ』(2017年に映画化)、エッセイ集に『神様の友達の友達の友達はぼく』、小説に『パパララレレルル』などがある。その他著書多数。

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