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最果タヒ 愛は全部キモい

第8回 愛は誓いを必要としない──『白鳥の湖』


イラスト 三好愛

8

 「白鳥の湖」は王子ジークフリートの物語だ。本人にもどうすることもできない情けなさと弱さをそのままにして、彼はそれでも誰かを彼なりに愛せたのだと証明する物語。

 「白鳥の湖」には原作と言えるものがなく、また、楽譜のト書、初演時の台本、改訂版(チャイコフスキーの弟による台本)でも内容が異なっている。特に初演時と、弟による改訂版には興味深い変化があり、初演台本にしか書かれていない情報も多い。しかしどちらにしろ王子は情けなくて軽率な人だった。

 初演台本ではオデットは、魔女の呪いで白鳥の姿にされたのではなかった。白鳥になって空を飛ぶことは、彼女を育て、彼女を守っている祖父が彼女に許しているわずかな「自由」だった。一方、王子は成人したことを機に一人の女性と結婚するよう女王に命じられていて、「自由がなくなる」と嘆いてもいる。この二つの「自由」は対比のようにも感じられる。
 オデットの母親は妖精であったのに人間に恋をし、父の反対があったにもかかわらず、結婚をした。結果的に母親はその男性によって破滅させられ死んでしまい、生まれたオデットは継母として現れた「悪い妖精」に命を狙われるようになった(初演台本の設定)。結婚を反対していた祖父は、オデットをだから保護し、ずっと悪い妖精から守っている。物語に登場する湖とは、祖父が母を思い、流した涙でできている。
 父は母が死んだあとオデットのことを顧みなかった。種族の違いも超えて愛し合ったはずの父と母が破綻し、そしてその未来を知っていたかのように二人のことを反対していた祖父に守られているオデット。当然、愛の誓いに対する不信感が強烈にあるオデットで、だからこそ、本気で己の心臓に刃を突き立てて愛を誓える「軽率」なジークフリートと惹かれ合うのだろうと思う。
 
 成人し、翌日には結婚相手を決めることとなったジークフリートが、せめて今はまだこの自由を、と踊り、楽しんだ自由の締めくくりとして選んだのが「狩り」だった。空に白鳥を見つけ、銃を持ち、ジークフリートと友人が湖のそばにやってくる。白鳥に狙いをすました後、彼はそのうちの一人が美しい女性に姿を変えたことに驚き、そして、自分がその人を殺していたかもしれないことに恐怖した。
 白鳥が人に姿を変えたとたん、「この人を殺したかもしれない」と恐怖するこの短絡的な感じがあまりにも人間臭い。ジークフリートが「人」を殺していたかもしれないことに恐怖したのか、それとも「美しい女性」を殺していたかもしれないことに恐怖したのかはここではわからないが、とにかく、彼は目の前に起きたことへのショックだけで感情を大きく変えてしまう。出来事に対するショックで全てのことを判断する、そんな単純なところがあるように思う。初演台本では、ジークフリートはオデットの仲間たちに「私たちの大切な人をお前は殺そうとしたのだ」と責められる。これが彼にとって衝撃で、狼狽した彼は特に誰も頼んでもいないのに、「鳥をもう殺さない」とまで誓いはじめる。でも、ここで鳥がどうとかいうそんな話はしてないはずで、そういうことじゃなくない?といいたくなるのがおもしろい。この軽薄さが私は好きで、鳥を全て殺さないなんて何の筋も通らないし(同じ理由で狐になってる人がいたらどうする)、ここで責められてることとは全く関係ないし、そもそも責めは狩りをしていたことではなくて、オデットを殺しかけたことに対する責めなのだ。誓いは何の解決にもならないし、そんなことを誓われてもオデットだって困るのに、とっさにそうしてしまうジークフリート。罪の意識に追い詰められた男が溺れかけて摑んだ藁のような誓いだった。
 「騎士さま、ご安心ください。私たちはすべて忘れます」とオデットもそんなジークフリートを慰める。ジークフリートは、目の前で起きたこと、その場で言われたことに対して、瞬間瞬間の反応は真っ直ぐで強く、純真で、でもそれだけの人なのだろう。その感情をずっとは維持できないし、そしてこれまでの自分の経験や考えてきたことを踏まえて思慮深く何かを決めることができない。目の前の衝撃にすぐ全てを手放して、深く考えずに反射的に何かを誓ったり、願ったりしてしまう。子供のような人だ。命を懸ける!と彼は言うけど、本当にそれでいいのか、多分本気では考えていない。でも、死の場合は一瞬で済んでしまうから、こういう人がそのまま、その勢いで死んでしまうことだってあるのが怖い。
 鳥を殺さないと誓ったジークフリート。もしも彼がこの後も生きていたら、オデットとこれ以上の関わりを持たなかったら、2ヶ月くらい経ったころには、何もかも忘れ、普通に狩りに行っていただろうな、と思う。鳥を撃っていただろう。そういう継続性のない感情や誓いを放つ人だから、純真すぎることをまっすぐに、確信を持って言うこともできてしまうのだ。(そして本人は、嘘なんてついてなくて、その時は心の底からそう確信しているのだ。)
 
 彼はもしかしたら「誓う」ということを、これまで本気でやったことがなかったのかもしれない。その場しのぎでいい顔をすることやごまかすことでうまく生きてきて、それを恥じたり悔いることもなかったのではないか。誓ったことがあっても、それを本当に達成できるか、周囲にじっと見定められるようなことはなかったのではないか。彼は、オデットと出会って初めて「誓い」の難しさを知ったのかもしれない。「裏切ったと思われたくない人」「裏切りたくない人」に彼はここで出会い、己の矛盾を受け流すことができなくなったように思う。
 軽薄な人間は軽薄な自分をそれでいいと思えているなら幸福でいられる。他者にたとえ軽薄だと思われても、その他者に執着がないなら平気なはずだ。王子には地位があり、守ってくれる従者もいる。彼はオデットに出会わなければ、本当の「誓い」とは無縁でいただろう。あなたを愛しますという誓いも、鳥を殺さないという誓いも、彼が初めて「軽率」にはなりたくない人が現れたからこそのものだ。でも、軽率だから突然手に取った「誓い」を貫くことができない。誓い方を知らないし、知らないから、その場で全てを決められる「命」が彼の選択肢になるのか。命を懸けて愛します、と彼はだから誓えるのだろうか。
 
 愛は誓いによって、輪郭を持つ。未来が見えることのない人類に、「永遠」なんて本当は口にもできない。「永遠の愛」なんて手渡せるわけがない。それでも、永遠を約束する言葉だけが、他者に手渡せる、そしてそれだけでも人は意味を見出している。約束、誓い、といったものが、愛はここにあります、信じてください、というメッセージになっている。
 オデットに愛を誓おうとするが、彼女にすこしも信じてもらえず、ジークフリートは「冷淡で、残酷なオデット!」と彼女を責める。誓いとは相手が信じてくれてこそだが、どう信じてもらうべきかを彼は知らないし、そして彼は「信じる」ことが人によってはとても困難であることを知らない。簡単に誓う(本人は「簡単に」誓っているつもりはないのだが)王子と、誓いは裏切られることを知っているオデット。でも、誓うということをこんなにも軽やかに自分に伝えてくるジークフリートは、オデットにとってある意味では「警戒」しなくていい存在であるのかもしれない。手を替え品を替え、自分の信頼を勝ち得ようとする人とは違い、信じてもらわなくちゃいけないことも本当はよくわかっていないジークフリートの誓いは幼稚で、彼女にとっては癒しにもなるだろう。だから彼女は王子の誓いに期待をしたのかもしれない。オデットがどうしてジークフリートに恋をしたのかって、単純で、軽率で、幼稚だからでは? 彼の誓いは幼稚だが、うそはない。だから、オデットにとっては信じたい誓いだったのだろう。
 
 ジークフリートはオデットにそっくりなオディールに浮かれてしまい、彼女に求婚をしてしまう。オデットだと思い込んでと、あとあと説明はされるが、ジークフリートはオディールにオデットであるかを確認はしないし「似てないか?」と友人には聞くが、「本人だ」と確信したそぶりは初演台本には書かれていない。彼は、心打たれた美しい女性がもう一度現れたこと、そして魅惑的に踊ってくれることに惹かれているのであって、昨晩のオデットであることこそが彼の背中を押した、とはあまり思えない。もちろん、オディールが魅力的に見えるのは、昨晩見たオデットへの思いがあるからこそだけど、彼にとって「オデットであること」が最大に重要なことだとはここでは感じられないのだ。目の前に美しい人がいる、昨晩出会った美しい人に似ている、だから好きだ、というそれだけ。逆に、オデットが見た目を変えて現れたら、彼は彼女に振り向かないのかもしれない。
 
 そういう軽薄さを非難したいのではなくて、こんなにも正直な人が、この物語にいることが面白いと私は思う。求婚の直後、オデットが城の外から見ていることに気づいた時、王子はショックを受けるが、これもやはり反射的な反応であるように思う。彼は貫きたい愛を持っているのに、これまでの軽率な生き方に体がなじみすぎていて、どうしてもその場しのぎの反応をしてしまう。そうやって、自分の心と行動の乖離に苦しんでいるのだろう。もちろん、裏切られたオデットのほうがショックはずっと大きいだろうが。
 
 オデットに愛を誓った人がオデットのために命を捨てた時、悪い妖精は死ぬことになる……というのは改訂版から追加された設定だ。初演の台本ではジークフリートは死んでも敵を滅ぼせない。ただ、ジークフリートは許しを乞い、オデットは拒絶をする。去っていくオデットにジークフリートは絶望し、一緒にいてほしいと願い、彼女の冠(彼女を守るために祖父が与えたもの)を湖に投げ捨て、そして二人は死んでしまう。(要するに無理心中だと私は思っている。)
 改訂版では、悪い妖精が勝利したことで、呪いが確定し、朝が来ればオデットはそれから永遠に白鳥の姿でいなければならなくなった。せめて人の姿のままで死にたいと考えるオデットにジークフリートは許しを乞い、もはや死ぬつもりのオデットはそれを許すが、ジークフリートにとってオデットが死ぬことは耐えられない。ジークフリートは、だから自らが命を捨てることで、悪い妖精に復讐をしようと企て、オデットが身を投げたあと、自らを刺し、「悪い妖精」を殺した。
 
 ジークフリートが命を捨てたのは愛のためではなく、復讐だった。改訂版では、二人が出会った時、ジークフリートには彼女のために命を捨てる覚悟があることが記載されているが、最後の命の捨て方は愛のためではなかったはずだ。
 命をかけて愛すると誓ったものの、彼は彼女を愛し切ることはできなかった。それでも、感情の瞬間風速がとてつもないジークフリートは、一瞬で終わる「死」ならば貫くことができてしまうから、だから死んでしまったのだろう。軽率な人は自分の命にも軽率です。100年ずっとあなただけを見ている、ということはできない彼だけど、次の瞬間にあなたのために死んでみせる、はできてしまう人なのだ。
 
 命を捨てた愛ですらもう本当は、それが「本物」だなんて言い難いのだと思う。ただ、信じてほしいとか、裏切られたと思われたくないとか、そんな思いから、突発的に一瞬で全てが証明できるような「死」が愛のためにもてはやされ、物語に登場する。日常会話の中でだって現れる。ジークフリートにとっての「命を懸けて」もきっと最初はそういうもので、そこで覚悟を決めたから復讐のために命を捨ててしまったのだ。そして私は、そもそも愛が絶対かどうかとか、そういうことは愛にとってどうでもよいのでは、と思う。ジークフリートが「オデットに裏切られたと思われたくない」と強く願ったのは本当だ。その瞬間の彼は心の底からそう思ったのだ。彼はそれを貫くことができる性格ではなかったが、でもだからって彼の愛が偽物だと言うのはひどく残酷だろう。愛を永遠に貫いてほしいと願うのは、愛を信じる側の一つの都合でしかない。信じることは不安だから、相手には誓いを貫いてほしいし、そうやって安心させてほしい。でも、本当は人間にはそんなことはとても難しいとみんなわかっているのではないか? 難しいとわかっていることをなぜ愛してくれる人に望み、さらに言えばその結果でもって「愛」の真実味を測ろうとするのだろう。
 
 オデットが、ジークフリートを気に入ったというのが好きだった。明らかに軽率で、誓い慣れてない彼を(なんなら自分を殺そうとした彼を)、それでもオデットは信じてみた。彼が絶対に裏切らないなんて、最初から思わなかったのではないか。彼のその曖昧さの中にそれでも希望を見ていたし、オデットがもしも呪われている立場でなければ、彼女はジークフリートの裏切りを許せたのではないか。ちゃんと怒って、ちゃんと彼女は彼の軽率を愛していけたのではないか。そうできなかったことこそが、悪い妖精の呪いの恐ろしさのように思う。
 この物語は初演台本では二人の死で終わってしまうが、改訂版は死んだ二人が水底の世界に導かれ、その世界で結ばれることが示唆される。私は、死後に結ばれなくたって、二人の「愛」に関して言えば、改訂版はこれでよかったように思うのです。(初演台本は無理心中なので最悪です。)
 
 愛を貫くことが「愛」を本当にするというのは、愛される側が見たがる夢でしかなく、信じる上での保証を欲しがっているにすぎない、と感じる。信じるとはけれどいつまでも先の見えない暗闇の道で、裏切られたその時にしか答えはやってこないのだ。娘を失ったオデットの祖父は、孫娘のオデットを守るために彼女を世間から隠していた。けれど、彼女が愛おしいからこそ、彼女に自由を与え、白鳥の姿で飛び回ることを許した。祖父がそれを恐れないはずもなく、いつオデットが外で不幸になるかわからない、と怯えただろう。(実際不幸になる。)それでも祖父はオデットを信じて、不安を引き受けたのだ。
 オデットも、ジークフリートの誓いを信じた時、祖父のように、不安を引き受けていたように思う。もちろんそれでも希望は捨てないが、彼女があの時にジークフリートを信じてみたこと、そして心から絶対に「この人は裏切らない」なんて思ってはいなかったことこそが、オデットの愛情であったように思う。悪い妖精の存在をどうするのか、妨害をどう退けるかの物語はその後続くが、愛し愛されることについては、二人の出会いのシーンでもう完成していたし、あれがあるから、二人の死は愛のためでないが、それでも物語として成立しているのだろう。
 ジークフリートは、オデットが自分のことを心底信じていると思っていただろう。だからこそ裏切ってしまったことに彼は混乱するが、本当はオデットはジークフリートがたとえ自分をその瞬間裏切っても、自分のことを愛していることだけは信じていたと思う。裏切ってはならないこと、信じてもらわなければならないことに執着していたのは、ジークフリートだけで、だから、彼は彼女の許しを求め、そして、彼女が自分から離れることを許さなかった。初演台本で彼女の冠を捨てるのは、自分から離れていく彼女と一緒にいるために、「共に死ぬ」という選択だ。でも、そんなことでジークフリートがオデットに証明できるものはないし、そしてオデットは証明してほしいとも思ってなかったはずなんだ。
 改訂版の台本では、オデットは自分の誇りのために死に、ジークフリートは己の命を捨てることを復讐に使っている。愛のための死のようで、そんなものはどこにもなかった。
 
 死は何百年も貫かなければならない誓いではなく、瞬発的なものだ。だから軽率に、愛のために用いられることもある。でも、ここにある死はどれもが愛のためではなくて、そして愛はもっと「誓い」や「絶対」や「永遠」でないところに転がっていた。あなたの愛は永遠で絶対のものだと信じていますよ、と言って欲しがる愛なんて、絶対でも永遠でもないだろう愛を、微笑んで受け取るその人の穏やかな愛情を見失う霞でしかない。

(イラスト/三好 愛)


*なお、本文は『永遠の「白鳥の湖」―チャイコフスキーとバレエ音楽』(森田稔、1999)収録台本をベースに執筆しました。

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著者略歴

  1. 最果タヒ

    詩人。1986年生まれ。中原中也賞・現代詩花椿賞などを受賞。主な詩集に『空が分裂する』『夜空はいつでも最高密度の青色だ』(2017年に映画化)、エッセイ集に『神様の友達の友達の友達はぼく』、小説に『パパララレレルル』などがある。その他著書多数。

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