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最果タヒ 愛は全部キモい

第6回 美しい愛は誰かの破滅──『美女と野獣』


イラスト 三好愛

6

 いつ私がガストンになってもおかしくないのだなと思うことはある。ガストンは「美女と野獣」に出てくる悪役で、力自慢で傲慢な男だが、自分の欠点に気づいていない。人を見下してもいるし軽薄だが、一切自分に振り向かないヒロイン・ベルにあそこまで執着することも、そしてベルを貶める方向には悪事が至らないことも、不思議だった。ガストンは最後に嫉妬により野獣を刺し、自業自得として(たぶん)死んでしまうが、ここまでガストンを「救いがなくて当然の悪人」にしたのは、彼に憧れるといって彼を盛り上げ担ぎ上げてきた人たちじゃないかって私は思ってしまう。ガストンは、あの物語で野獣と同じくらい他者の目に影響を受け、そこに振り回されている人だ。「強いぞガストン」で「俺に弱気は似合わない」と彼は言うが、彼の言葉なのか、彼が他者に言わされている言葉なのかはもはやわからない。強い人間を見るのは楽しいだろう、彼が何もかもを手に入れるのは盛り上がっただろう、そうやって担ぎ上げた末の人格があの「ガストン」だ。彼一人が死ぬのが私は辛い、彼の罪は本当に彼一人の罪だったんだろうか。
 ベルの大切な本を大切と思えないガストン。彼にはベルの大切なものを理解できない愚かさがある、そして私は、自分が出会うすべての人の大切なものを理解できるという自信はない。他者の大切なものに想いを馳せられない人間は罪人なのだろうか? 愚かであることは罪なのだろうか? 死ぬべきほどの? いつだって私はガストンになり得るし、ガストンが人に執着をしてそして身を滅ぼすのは、彼に「自分こそが最高だ」と思い込ませた周囲の責任も多分にあるように思えてならない。

 物語の冒頭で、ベルは自分が他と違っていることを気にしていた、野獣は自分の見た目が醜いことを気にしていた。ベルはみんなと異なっていると気づいてもそれを直そうとはしなかったがマイペースに生きながらも孤独を感じ、「理解者」を求めた。野獣は自分の醜さに絶望していたし、そんな自分を他者が愛してくれるとは期待していなかった。二人とも他者の「無理解」に対して諦めを抱いている。わかってくれない人にわかってほしいと願うのではなく、ベルはわかってくれる人に(ここ以外のどこかで)いつか出会うことを願い、野獣はそんな人はどこにもいないと思うようになっていた。二人はよく似ている。ほとんどの人間に対して諦めてしまっているという点で。
 ガストンはベルが自分のことをいつかは好きになると信じているし、そもそもすべての人が自分に憧れると信じて疑わない人だ。人と人はそれぞれが全く違う人生を生きているし、理解し合うことだって難しいと私は思うし、彼の思い込みは視野の狭さと想像力のなさを証明することでもあるけど、でもそう思い込んでしまうこと自体は何も悪いことではない。周りに愛されて育った子供は、最初はそう思い込んでいる子も多いはずで、他者が自分とは全く違う人間で、自分そのものが受け入れられることはとても難しいのだと気づくには大きな挫折や悲しみが必要なものだ。誰もが自分を好きになると思い込んでいるガストンはある意味では無邪気で、つまり、自分のことを今褒めそやす人間たちは全員心から自分を慕っていると信じてるってことじゃないのか? その人たちが見ているのは、本来の「ガストン」ではなくて、その人たちの幻想の「ガストン」だ。すぐに「お前らしくない」と言われてしまう、求められる「自分」が他人の中にありすぎて、そこからはみ出るわけにはいかない。面目丸潰れなんて絶対に避けなくてはならないし、そんなことが起きたら意地でも挽回しなければならない。それは、誰も自分を愛するわけがないと思い込む野獣と同じくらい不幸なことだと私は思う。周りは自分を愛しているのではなく、自分に見出す虚像を愛しているんだ。
 
 ベルが周囲に自分を理解できる人はいない、と思うように他人のほとんどを諦めることは、自分を守るためには必要なことなのだろう。本当は誰もが自分を理解できるわけがないが、彼女は「理解」を求めているというよりも、自分に「こうであってほしい」と押しつけることのない人を求めているのだ。
 
 ベルと野獣の関係が私はとても好きで、野獣がベルの好きなものを知ってそれをちゃんと贈ろうとするところも、ベルが野獣に救われたとき、野獣を見捨てずに助けようとするところも、二人のそれぞれの「不安」が見え隠れしている。野獣は自分が愛されるはずはないという前提があるから、心惹かれるベルに対してできる限り優しくしたいと考え、だからこそ彼女の好きなものを知ろうとし、そして彼女が喜ぶものを贈ることに成功した。ベルも、野獣を恐ろしいと感じても、彼が自分に向けてくれた優しさに対してまっすぐに向き合おうとしている。自分が知っている「野獣」の姿が一側面でしかないということをわかっていて、彼がどんな人なのか、完全に理解できるわけがないと思っているからこそ、歩み寄っていける。二人とも他者をとても遠い存在だと捉えていて、「理解」などできないという前提でいるからこそ、なんとか相手に届くよう、必死に優しく、柔軟でいる。これは二人の心の美しさと受け取ることもできるけど、彼らが今まで背負ってきた孤独が産み落としたものにも私には思える。
 孤独に向き合う必要がないほど恵まれて生きてきた人はこのようになることが難しいのかもしれない。それこそ、ガストンのように。ガストンが悪役で、二人が主役であるからこそ、この物語はすんなりと二人の愛の物語に見えるが、「孤独でない人はろくに恋ができないのだろうか」と思う。ガストンを一人の人の一生として捉えると、苦痛に感じるのはどうしてだろう。私はそれでもこの物語が好きで、ガストンが悪役ではあっても、自分を愛さないベルを傷つけようとはしなかったことがとてもいいなと思っている。それから、ベルが尊敬する父親が、ベルが「友達がいない」と言った時に「ガストンは?」と聞くのも好きだ。愚かな父のアドバイスのようにも見えるけど、ガストンという存在がこの物語においてどこまでも生身の人間であることがわかる。彼女たちの生活に突然現れた悪意ではなくて、ガストンは生活の一部に存在しえる「隣人」の範疇なのだ。彼は異質ではないし、日常の存在だ。そんな彼は、美しいからこそベルを手に入れようとした。ろくに心を見てはいない。でも、だからって、彼の恋が恋ではないと誰が言えるんだろう。美しい人を美しいと思って好きになったらだめなのかな、独占欲は愛ではないとするのはなんなのかな。彼は、ベルを傷つけはしなかった。彼は人を愛するのが下手だ。未熟でもある。他者というものを知らなすぎる。でも、彼の愛が正しくないと言える人は本当はどこにもいないのではないか。
 
 いい人だから好きになるわけではない。優しいから好きになるわけではない。心を見て、心を愛するのを賛美する物語も多いけれど、心の美しさに惹かれるのが愛かっていうと私はどうしてもピンとこない。愛については相手が優れた人間かどうかなんてさほど問題ではなく、偶然出会った二人が、どんなふうに関わり、どんな出来事が二人の間に起きたか、のほうが重要であるように思う。ベルと野獣は互いに心を通わす勇気を持ったことで、相手を決めつけずに向き合い続けていた。優しい人だから、とは言うが、でも、優しければ好きになるわけではない。互いの勇気が二人の心を開いていって、そして他者を「自分ではない人」として尊重したまま見つめ続けたからこそ愛情が生まれたのだろう。いい人だから愛される、なんて世界はこの物語では描かれていないと私は感じる。(野獣だって孤独だった頃はだいぶ酷いことをしている、と思う。それが仕方のないことならガストンも本当は仕方がないのだ)。
 ガストンが愛されなかったのは、ガストンが悪人だからではない。この物語でもそれは貫かれているように思う。ベルと野獣は二人の心が美しいから結ばれたわけではない、と私は思う。一緒に雪を投げ合って、一緒にスープを飲んだからだ。いろんな偶然があってなんだかんだでそういう時間を過ごして、そうして親愛の情が生まれたに過ぎない。ガストンは、他者が他者であることに気づく機会をずっと失って、ベルをちゃんと見ることもできないままだった。ベルも、ガストンのことはろくに見ようとしていない。この二人に愛が絶対に生まれなかったなんてことはなくて、ベルがこのガストンに己の視野の狭さを気づかせることができていたら、ベルがガストンの周囲と本人の関係を知っていたら、変わっていたのではないかとも思う。でも二人とも互いを見るつもりがなく、起爆剤になるような出来事も起きなかった。はっきり書いてしまえば、最初からベルだってガストンに冷たかったのだ。でも別にそれは仕方ないことだと思う。単純にベルはガストンが嫌いなのだ。ガストンが悪人だとかそういう正義の話ではなく、個人的に気に食わない人間だから、それ以上知ろうとする気がない。
 それを、この物語は結構そのままに描いているように思う。(野獣だって、久しぶりに見ると記憶よりだいぶ最低だった。)ガストンはタイミングが悪かった、出会い方が悪かった。それなのにガストンの破滅が徹底されているからショッキングなのだ。彼はそこまでのことをしたんだろうか、しているけど、したんだろうか、と考えてしまう。愛に選ばれるかどうかは、理不尽なものなのです。あなたはスペックが高いからと周囲に持ち上げられて自信をもっていたガストンにとって、二人の愛は人生の歯車を狂わせるものではある。ただの自業自得なんかではなく。ベルを他の男に取られて、自分の未熟さに気づく機会にも恵まれず、他者との関わり方もよく知らないまま暴走し、その暴走の罰として死ぬ。ガストンはただの人間です。そのことをあまりにも露骨にはっきりと描いているから『美女と野獣』は面白いなと思う。二人の愛の成就に感動しながら、それが常に誰かにとって理不尽な破滅であることがはっきりと見えているのです。

(イラスト/三好 愛)


*なお、本文はディズニー映画『美女と野獣』( ゲイリー・トルースデール&カーク・ワイズ、1991)をベースに執筆しました。

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著者略歴

  1. 最果タヒ

    詩人。1986年生まれ。中原中也賞・現代詩花椿賞などを受賞。主な詩集に『空が分裂する』『夜空はいつでも最高密度の青色だ』(2017年に映画化)、エッセイ集に『神様の友達の友達の友達はぼく』、小説に『パパララレレルル』などがある。その他著書多数。

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