tanemaki diary*大人読み
国語の教科書に載っていた作品を、大人になってからある時むしょうに読みたくなる、という経験はありませんか。
授業では眠くなるほど延々とこねくりまわされて(すみません、先生!)、試験のためだけにいやいや読み、どんな有名な文学作品も評論も「もううんざり」と思っていたはずなのに、何かの拍子にふとその一節が頭に浮かぶと、「今読んでみたらどんな感じなんだろう」と思うことがあります。
さらに、その文章は学校生活の気分とリンクしていることも多く、蒸し暑い梅雨時の教室の空気、プールの授業のあとのだるさ、夏休み間近の浮き足だった感じ、休み時間に窓からふと入ってくる秋風の香りなどが、一緒に思い出されたりします。
梅雨入り早々、からみつくような重い空気の香りで思い出したのは、小林秀雄の「無常ということ」。きっとこの季節に教室で読んだのでしょう。
家の書棚には当時の文庫本があるのかもしれませんが、つい「今すぐ読みたい!」の気持ちにかられて書店へ駆け出しました。何軒かまわってようやく手に入れて開いてみると、授業で何度も読んだ文章は、読み慣れた親しみのある感じと、びっくりするほどの新鮮さ。レベルはとんでもなく違うものの、この「無常ということ」も、ふとしたときに思い出された文章の話でした。
あれだけ読んだはずなのに、当時はまるで気がつかなかったところもあり、我ながら大人になったものだとうれしかったり、また、10代の自分が、内容を理解できないながらも「この文章、いいなあ」と感じたことをほほえましく思ったり。
大人になってからの読み直しは、読書好きだった子ども時代を過ごした人にとっては至福の時間だと思います。