藤井悦子 編訳『シェフチェンコ詩集』<訳者からのメッセージ>
「母のことば」を「民族のことば」に
1840年、タラス・シェフチェンコ(1814~61)が『コブザール』を出版したとき、故郷ウクライナの読者は、「わたしたちのことば」で書かれた詩集に歓喜の声をあげた。絵の才能を認められて農奴身分から解放されてから2年後のことである。しかし、翌年公表した歴史叙事詩『ハイダマキ』を高名な評論家ベリンスキーは酷評する。ウクライナ語は「農民の口にのみ残る」ことばであり、もはや文学の言語たりえない、ロシア帝国下の文学作品はロシア語で書かれるべきである、というのである。
シェフチェンコは、日常のことばがロシア語であっても、こころの想いを表現する「詩」は「母から受け継いだことば」でなければ書けないという信念のもとに、力強く美しい作品を次々と生み出し、ウクライナ語を文学のことばにまで高めて近代ウクライナ文学を確立した。母のことばは民族の独立とアイデンティティを守る砦となり、彼の詩は今日もなおウクライナの人びとに愛誦され、こころの拠り所となっている。
(ふじい えつこ/ウクライナ文学研究)