近藤和彦『歴史とは何か 新版』<訳者からのメッセージ>
仕切り直しのテュートリアル
E・H・カーに会ったのは一度きりです。1980年初冬、ケインブリッジはトリニティ学寮の昼食後、フェロー談話室で指導教員に紹介されました。
『ソヴィエト=ロシアの歴史』14冊を完結し、新著『ロシア革命』や評論集『ナポレオンからスターリンへ』を出したばかり。20世紀の知性を代表具現するようなカー先生にこのとき会うことになるとは予想していなかったので、まともな会話はできませんでした。あたりを払うような気配もありました。
90歳で亡くなるのはその2年後。わたしは82年夏までケインブリッジにいたのですから、十分に準備してお願いしたら、再会もありえたかも知れません。しかし、初めての留学で「国史根性のイングランド史」、1750年代の地方都市における抗争と中央政界・教会との関係といったテーマにしがみついていたわたしは心の余裕もなく、好機を失いました。
『歴史とは何か 新版』の翻訳は、チャンスを無駄にした42年前を悔やみつつ、仕切り直しのテュートリアルをカー先生にお願いして勉強し直した、その成果です。
(こんどう かずひこ/東京大学名誉教授)